ナニワイバラ(難波茨:Rosa laevigata:バラ科バラ属)が咲いていました。
ナニワイバラは中国南部から台湾にかけて自生する原種のつる性バラです。
江戸時代大阪浪速の植木屋が普及させたのでナニワという名がついたと言われています。
おしべが黄色の大輪一重の白い花で、葉はツバキのような照り葉の革質で、全部が美しいノバラです。
このバラは1780年頃に中国から米国に移入され、まもなく野生化したようです。1916年ジョージア州の婦人会連盟の肝入りで、この花が州の紋章の中に取り入れられたのを機会に、州花に定められました。
このバラが米国でチェロキーローズ(Cherokee Rose)と呼ばれるのは、ネイティブ・アメリカンのチェロキー族の悲しい出来事があったからです。
1828年にジョージア州で金が見つかり、それがゴールドラッシュの引き金となって白人は黄金を求めて西へ西へと移動を始めました。
時の大統領アンドリュウ・ジャクソンはそれまでの約束を反故にし、1830年にインディアン移住法を議会で通し、ジョージア州に住んでいた先住民チェロキー族をなんのゆかりもない西部に移住させ、金の採掘をもくろんだのです。
フロリダのセミノール族のように徹底抗戦した種族もいましたが、1838年チェロキー族はオクラホマ州への移住の強制をのみました。その途上疫病などで多くの命が失われ、15,000名いたチェロキー族の少なくとも4,000名がこの時亡くなったと推測されています。
後にチェロキー族が、この出来事を記憶に留めるためのシンボルにしたのがこのバラでした。
白い花びらは死んでいった子を哀れんで流した女たちの涙を、中心の黄色い蕊は金を、そして7枚の小葉は勇敢なチェロキーの7部族を表していると言われています。
チェロキーローズがジョージア州の紋章に取り入れられ、州花になったのも、白人たちがこのような歴史を忘れないためであろうと思います。
ジョージアからオクラホマまでのその道は、残酷な事実を忘れないために「涙の道(Trail of Tears)」と呼ばれています。そして女たちが落とした嘆き悲しみの涙の跡に沿って、このバラが咲くと言われています。



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